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日本語補習校の歩み
日本クラブ「ラインの流れ」
記念誌「おもいで」1995年度
デュッセルドルフ日本人学校 学校要覧
等の資料より一部抜粋
日本語補習校の歩み(PDF)
1960年
5月 日本人会(日本クラブ前身)が中心となり当時、ボン大学に留学していた
門脇卓爾先生(学習院大学)夫妻を講師にDerendorfにあるライプニッツギムナジウム校舎を借り2教室で日本語授業開始。
上級組小4〜中1 14名、下級組小1〜小3 6名、一回2時間。
52年に最初の日本人駐在員がデュッセルドルフの地を踏んで以来、日本人社会は600人弱の規模になっている。 EEC発足、戦災の痕なお残こす、デュッセルドルフ日本社会草創の頃
1962年
前年に開始されたベルリン壁構築、本年キューバ海上封鎖と東西対立が深まる一方で、 デュッセルドルフ日本語教室ではケルンにある「聖園(みその)聖心愛子会」のカトリックシスターを中心とした献身的な人々の下、日本語の授業が続けられていく。
1963年
同年冬より、毎年クリスマス会を開催することとなった。
1964年
1月の日本クラブ設立後、当教室はクラブ教育部の下で運営される。
1966年
4月 週二回の授業制となる。毎年の催し物となる、第一回学芸会催行、Prinz-Georgstr. Filmforumにて(日本クラブの映画も当時ここで上映されている)。 在籍児童生徒数76名。この年3月にデュッセルドルフ日本商工会議所設立。
1968年
幼稚園部として準一年生クラス(愛称:バラ組)を新設。この年、ISDと86年改称されるAmerican International School創立。
1970年
9月 高校の部が新設される。坂田道太文部大臣補習授業参観。
1971年
4月 全日制開校に伴い小5〜中3が移行し、補習授業校はバラ組、小1〜4、高校部のみとなる。授業は従来通り週2回午後の授業を継続。 10月 昭和天皇皇后両陛下ケルン・ボン空港お出迎え、お見送り。
1972年
5月 小1〜4についてオーバーカッセルの小学校を午後借用して全日制授業が開始されたのに伴い、バラ組と高校部も廃止され、日本クラブ教育部運営による補習授業校は12年の役目を終了した。ミュンヘン五輪テロ「Schwarzer September黒い9月事件」発生。
1973年
全日制が発足したとはいえ、現地校に留まった子供達もかなりおり、当時ケルンからデュッセルドルフに移って来ていた聖園のシスターにより小1〜4を対象に日本語授業が私的な形で継続される(現カリタス日本語教室)。この年、田中角栄首相デュッセルドルフを訪問。
1978年
9月 「みその国語教室」の父兄代表幹事から、総領事館、日本クラブ、日本人学校に対して、全日制校内に小5以上の国語教室開設の嘆願書が出される。11月、全日制校長先生の理事会への意見具申: 全日制日本人学校と日本語補習校の2校が同一地域に併存し、保護者の教育観によってこの両者を選択できることが理想である。全日制設立の一方、現地校通学者への教育は「みその国語教室」が重大使命を果たしている。今回の陳情を機会に当地邦人社会全体の問題として、将来を見通した新しい方向を総意を持って考えるべき、と検討を切望されている。この頃、トーンハレ音楽堂完成。
1979年
2月 日本人学校理事会ならび臨時法人会員総会に於いて4月より小5、6の「日本語教室」の設置を決定する。本決定に伴い、全日制の定款に「全日制日本人学校に通学しない学齢児童に対する日本語指導の実施をする。」の条文が付与。(現在の定款第二条2がそれ) 4月 (憧れの)日本人学校内で「日本語教室」(現デュッセルドルフ日本語補習校)の名称で小5一学級9名でスタートする。小6は2名の応募で、5名以上の開設条件に満たなかったため小5に編入。 授業料はDM80だった。
1980年
小6クラスを開設する。
  参考: 7月 ケルン教区・枢機卿ならびデュッセルドルフ被昇天聖母教会Liebfrauen Himmelfahrt Kircheの依頼を受け、「聖園(みその)日本語教室」小1〜4は宮崎カリタス修道女会(Lindenstr.)に受け継がれている。今日の「カリタス日本語教室」こと。
1982年
中学部併設を求める嘆願書が認められ、中1クラスが開設される。一方で、講師の労働許可取得が問題化し講師不在となり、小5は9〜12月、小6と中1は10〜3月まで休講となる。この間の授業は先生自宅、日本クラブで行われた。
1983年
小5から中2までの4クラス開設。日本デーの前身、日本=西ドイツ相互理解の深化を目的として最初の日本週間が行われている。日本の花火大会には当時より100万人の見物客が近郊より集まった。
1984年
小5から中3までの5学級開設。生徒数30名。学年数が増えても適当な講師が見つからず、複式、複々式の授業は当たり前だった。
1988年
87年の日本政府よる補習授業校認定に基づき、講師2名に対し、謝金補助が下りるようになる。従来の「日本語教室」から「日本語補習教室」へと改称。11月、全日制の学校祭に作品出展とともに舞台発表に初参加した。
1989年
3月 学校代表(校長、教頭、事務局長)、全講師、保護者代表により初めての三者会合が開かれる。また最初の「日本語補習教室修了式」が行われる(その後に懇親会催行)。この年2月、昭和天皇崩御、11月ベルリンの壁開放。 授業料はDM80からDM90となる。
1990年
4月 週2回の授業から毎土曜日午後2時から5時半までの4時間授業制に変更。全日制派遣教員を「日本語補習教室」の主任として配属する。授業料DM100。9月、日本クラブ主催、全日制協力による恒例の運動会に初めて「日本語補習教室」として参加する。10月 東西ドイツ統一。
1991年
後期より小6〜中3まで、4校時目を選択授業とする。この頃あたりから運動会、学校祭、そしてグリルパーティーといった行事を通した学年を超えた仲間意識が広がる。補習校を『大家族』の様に感じ、現地校で学ぶ子供たちに安心、勇気と希望を与える存在となる。
1993年
10月 日本語補習教室父母会主催 「パネルディスカッション・異文化の摩擦」は大好評の企画だった。この年9月に今上天皇皇后両陛下デュッセルドルフ市を御訪問される。
1994年
9月 学校祭 全日制生徒会主催「パネルディスカッション・私たちとドイツ社会の係わり」に参加。
1995年
全学年で4校時目を選択授業とする。10月、全日制創立25周年記念学校祭 「パネルディスカッション・私たちの学校」に参加。11月、父母会主催、補習教室通算30周年の集い挙行、参加者約170名。飛翔と合わせる形で、「おもいで −通算30年を記念して− 」記念誌を発行する。
1996年
小4クラスを開設した。
1998年
選択授業を廃止し、4校時目は学年クラスでの授業に戻す。
2001年
授業料改定 DM100から60ユーロ。
2002年
全日制からの主任の配属は今年度を持って終了。
2003年
4月 「日本語補習教室」は「日本語補習校(Forderschule fur Japankunde in Dusseldorf )」と改名される。全日制校長先生を補習校名誉校長先生にお願いし、新たに「日本語補習校」専任の校長先生を迎え新体制となる。
2004年
4月 在籍生徒数減少(54名)に伴い、小5〜6、中1、3の4クラス編成となる。小4クラスは廃止。中2クラスは中3クラスに併合され、1年飛び級の形で旧中1は卒業した。
2005年
3月 補習校校長先生の任期2年が終了する。で終始した在任中に書かれた「ラインの友」は66編に及び、多くの児童生徒、保護者に夢と希望を与えたものだった。4月 補習校校長先生任期終了に伴い、名誉校長先生と新たに置かれた教務主任(月ごとの講師輪番制)での学校指導体制へ移行。今年度より小3、4を基本対象とする準備クラスを新設。昨年度の小4廃止の反省、バイリンガル校開校など社会的状況の変化と保護者の要望より複式授業で開始した。入学の目安は日本の小学校国語教科書3、4年生を主に使用するため、小2の国語教科書の読み書きが出来る程度。小5に上がるための「準備」をするクラスと位置づけた。また補習校卒業生を主とした学習支援者を部分的に採用した授業展開も開始。この年には又、補習校を紹介するHPがスタートしている。
2006年
3月 日本人学校理事会は保護者が補習校運営に関わる形での運営組織(仮称:補習校運営委員会)の設立を早急に検討するよう補習校に要請。それを受け、理事会副理事長を含む学校関係者、選任保護者(プロジェクトチーム)で構成される補習校運営委員会設立準備委員会が編成され、今後の補習校運営のあり方が検討される。中3不在のため修了式はなく、茶話会では各学年による舞台発表が行われた。4月、教務主任を固定化する。授業料は60ユーロから75ユーロ(第一子)、70ユーロ(第二子)、60ユーロ(第三子)となり、入学金100ユーロが導入される。8月、デュッセルドルフ日本人学校e.V.理事会下部組織として、補習校運営を目的とした補習校運営委員会が発足。2学期より小4クラスを単独クラス化。準備クラスは主に小2、3教科書を使用し、小4進級の準備をするクラスと変更。従い、準備クラス、小4から中3の7クラス編制となる。11月 補習校の日ごろを紹介する補習校オープンデー “ Tag der offenen Tur “ を実施する(以降、毎年秋に実施)。同月、補習校用校門チップ導入。12月、運営委員会は講師の先生方がより働きやすいような勤務形態(従業員契約、フリーランス契約、ミニジョブ契約の3種類選択制)を導入。
2007年
4月 小1を新設する。小2・3は複式クラス。これにより小1〜中3クラスの義務教育9年間の指導体制が整う。小1と小2・3クラスは年初は旧校舎を使用し、秋より新校舎に移動する。(なるべく体にあった机と椅子で勉強出来るようにとの配慮から)8月にGrundschule入学予定の現幼稚園児も入り、ちびっ子が駆け回る新しい雰囲気となったのが印象的。9月、補習校事務を引き受ける補習校専任事務スタッフが隔週で勤務開始。
2008年
3月 修了式、恒例となっていた父母会主催・茶話会は今年度はなく、卒業生は学校関係者、保護者、残った児童生徒の作るお別れの人輪をくぐって補習校を去って行った。4月 小1から中3まで9学年9クラス編制、在籍生徒数は105名。とうとう100名を超える。補習校の規模拡大に伴い、4月より保護者と講師が中心となる学校安全管理活動がスタートした。主な目的は、利用している施設の管理、中休み等での児童生徒の安全確保、事故防止、名札の着用による関係者把握、外部侵入者抑止。5月 グリル大会を中止。300名ほどを対象としたグリル大会の実施は安全、衛生面で無理と判断。長年続いた大行事を惜しむ声も多々あったが、全日制への感謝、親交、補習校に関わるみんなの親睦は別の形を模索することとなった。10月 父母会メディア係を中心に補習校HP刷新される。11月 補習校選任スタッフ毎週の勤務となる。
2009年
3月補習校30周年記念誌「校門をくぐれば/土曜日に集う私たち 補習校30年の節目に」を飛翔との合冊にて発行。 4月 小1から中3まで9学年10クラス編制(小1は2クラス) 在籍生徒数は119名。 11月 オープンデー実施。 40家族が来校。          
2010年
4月 小1から中3まで9学年11クラス編制(小1、小2は2クラス) 在籍生徒数は131名。    
副校長専任職を新たに設ける。            
5月 本校のドイツ語名称を「Japanische Ergaenzungsschule in Duesseldorf」に改称 
11月 ドイツ地区補習校講師研修会を主催 (例年同時期に開催するオープンデーは中止) 
1月 新編入学説明会を実施 12家族が来校。
2011年
4月 小1から中3まで9学年12クラス編制(小1、小2、小3は3クラス) 在籍生徒数は145名。
6月 雨で中止となった運動会の代わりに、補習校単独でミニスポーツフェストを開催
11月 オープンデー実施  33家族が来校。 剣道 7 段 清水幸雄先生講演会(小5以上+父母対象)
2014年
4月 小1から中3まで9学年13クラス編成(小1から小4まで2クラス)、在籍生徒数は205名。生徒数が初めて200名を超える。
11月 新編入生保護者説明会を実施、34家庭が来校。昨年度までのオープンデーと異なり、次年度新入生を対象に行っていた体験授業を廃止した。
2015年
4月 小1から中3まで9学年13クラス編成(小1から小4まで2クラス)、在籍生徒数は202名。
11月 海外子女作文コンクールで個人賞を12個、並びに2年ぶりの学校賞を受賞。

2016年
3月 修了式、2007年に小1が新設された時に入学し、小1から9年間補習校に通った初めての修了生が(中学部の課程を)修了。
11月 海外子女文芸作文コンクールで個人賞を10名、12作品が受賞。 加えて2年連続、6度目の学校賞も受賞。
2017年
3月 小学部6年及び中学部3年の修了式。小1から連続で9年間当補習校に通った5名を含む10名が中学部の課程を修了。
 
   


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デュッセルドルフ日本語補習校
Japanische Ergaenzungsschule in Duesseldorf
Tel : 0211-5577-134(土曜日のみ対応)
E-mail : hosyuko@jisd.de