第22回  「記念の噴水」
 
 当時小3だった渡辺学(がく)君が事故に遭ったのは1976年12月でした。その時の事を後年1980年6月6日付の「ビルト・ツァイトゥング」紙は次のように書いています。

 「渡辺学はレヴィットシュトラーセにある集合アパート(300世帯) の地下ガレージの前で一人で遊んでいた。この男の子は日本からデュッセルドルフに来てまだ14日しか経っていなかった。と突然、自動式のガレージ扉が閉まってきた。学は扉の端とコンクリートの壁の間に押し挟まれてしまった。6か月後、学は意識が回復することなく死んだ。」

 小4になっていた彼のお通夜は1977年6月21日に行われました。
 保護者の渡辺欣治様は、家族でお付き合いをしていた知人、工業デザイナーのDieter Witte 氏に噴水の設計図を書いて貰い、フィリップ・ホルツマン社に校庭に作って貰って学校に寄贈されたのでした。ただこの石造りの壁に貼ってある透明プレートに学君の事が書いてあり、それを読んでこの噴水はお墓だとか祈念被だという誤解が子供たちや親の間で広まったこともありました。噴水の周りで子供たちが元気に遊ぶことは学君の御両親の願いです。
 尚この噴水はポンプで水を汲み上げる循環式のため、外から水に入ったゴミや砂などがたまるとポンプの故障の原因になるので、状況によっては水を止めることもあります。