第14回 ランカー校舎

ランカー校舎
 1979年3月に第2回(離れ)校舎増築が完成し収容人数は700名になりました。(JISDの宝No.8 参照)。ところが2年後の1981年4月末には693名、83年2月には782名、そして83年4月には何と848名になったため、急遽小4の115名は4月から6月27日までの3ヶ月、ドン・ボスコシューレの隣のザーリアシュトラーセ校舎を借りて急場を凌ぎました。理事会は急激な生徒増に対し更に校舎を増築しても将来どうなるか分らず考え方を変えて市側と交渉、本校舎から歩いて7〜8分の地にあるランカー通りにある空いたレアールシューレの校舎と体育館全部を中学校用に借用する事にしました。こうして1983年7月と8月の夏休み中に同校舎の内側壁面塗装を初め移転作業を行い、8月22日から中学生の6学級175名が勉強を開始しました。
 校舎は1900年の初めに建てられた、煉瓦造りの如何にもドイツ的な重厚な建物で、小学部の明るい校舎に比べれば古めかしく重苦しく、当初は生徒達は仲々馴染めなかったようですが、住めば都で次第に愛着が湧いてきて「ランカースピリット」という合言葉ができる程に多くの生徒に愛されるようになりました。生徒数は1988年4月の269名、92年4月の266名をピークに減少し始め、98年から150名を切るようになり、また小学生も97年から700名を切るようになりました。理事会ではこの間、1992〜93年に小学校の大規模な増築・新築(現在の職員室などのある校舎)を行って丁度1000名を収容可能にしていました。このような状況にあったため、2つに分かれての不経済な財政的な負担を軽減する事もあり、2001年7月13日に「ランカー校舎」閉校式を行い18年ぶりに小中が再統合されました。因みに1983年8月〜2001年7月までの19年間(216ヶ月)の毎月の中学生平均生徒数は196名でした。
 この間生徒達の喜怒哀楽に満ちたドラマの舞台となった煉瓦造りのランカー校舎を校庭側から見事に描いた、中学校美術科の佐藤繁教諭(1994〜97)による『1995年度学校要覧』の表紙絵と、樋口善造画伯からの御寄贈で新校舎入り口ホールの壁にかかっている、ランカーシュトラーセ側から描かれた校舎裏側の油彩画も本校の貴重な宝です。

佐藤繁教諭による『1995年度学校要覧』の表紙絵
樋口善造画伯作の油彩画